2010年2月

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みやざきの風・光・水

  私が子どもの頃宮崎は「台風銀座」と呼ばれていました。台風が近づくと台風対策に奔走する両親の緊張感が伝わり、また家が飛ばされるのではないかという恐怖感であまり良い思い出がありません。しかし風のピークが過ぎると緊張感や恐怖感から解放された喜びが大きく、「まだ早い」という親の忠告も聞かず家を飛び出し、全身に風を受けてはしゃぎ回って遊んでいたのを思い出します。

 

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時に風はまた恵みも運んでくれます。冬の宮崎平野では「霧島おろし」が吹き荒れます。やっかいな西風ですが、これが吹かなければ冬の風物詩でもある「大根干し」ができません。心地よい春風、寂しげな秋風・・・さまざまな風がこの宮崎でも吹き、熱帯夜や寒波、黄砂や桜島の灰など色々なものをこの宮崎に運んでくれます。

でも見方を変えればこの宮崎からも風に乗って飛んでいくものがあるではないでしょうか。私は今の時代だからこそ『地力』というテーマで人が繋がることによって何かが変えられる、何かできると思うのです。

 

ですから宮崎から春風に舞うタンポポのタネのように爽やかな風を起こし、宮崎ならではのエネルギーを届ける時だと思うのです。そこで真っ先に届けたいのが「宮崎の光り」です。

 

宮崎はその昔、「日向の国」と呼ばれていたそうです。それははるか遠い昔、景行天皇が熊蘇征伐の際に宮崎に滞在され、海から登る朝日を見て「日に向かう国(日向)」と言われたことに始まるとされています。確かに太平洋に面した海岸線が県の南北に延々と続いていますから、宮崎の海沿いに住むに人たちにとって宮崎は日に向かう国なのでしょう。

 

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実は私が生まれ育った内海も太平洋に面した港町です。東側に広大な太平洋が広がり、残りの三方は小高い山々に囲まれ、その間の狭い平地に人々が暮らしています。しかし、海から顔を出す神々しいばかりの朝日と燦々と降り注ぐ太陽の光は、そこが狭くて小さな町であることを感じさせない位の力強さ、大らかさを与えてくれたと思います。


 

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宮崎の自然が創り出す光の演出はこれだけではありません。例えば夕日の美しさです。霧島連山や阿蘇に沈む夕日が映し出す山や雲と一体となった茜色の世界は思わず見とれてしまいます。そして晴れた日の渓谷を散策すれば、緑のトンネルからキラキラとした光のシャワーが降り注いでくれます。

 

 

夜の空もまた格別です。中心市街地からちょっと足を伸ばせば鮮明な星空を観ることができます。子どもの時に見た快晴の夜空一面にちらばった星の眩しい光、また満月を取り巻く虹のほのかな光・・・記憶の中にも様々な光が生き続けています。

 

宮崎の夕日の美しさ、木漏れ日の安らぎ、青空の爽快さ・・・・そのほとんどが自然から生み出されるもので、皮肉なことに開発から取り残された産物といえるものかもしれません。宮崎はそんな光、言い換えれば自然の宝庫でもあるのです。

 

でも、自然豊かなはずの宮崎でも消えかかっているものがあります。それは清らかな水です。蛇口をひねればいつでも好きなだけ水が出てくる時代に育った私たちは、いつの間にか清らかな水が自然の贈り物だと言うことを忘れてしまっています。

 

 

河川の水は濁り、地下水は汚染され、そのまま飲める水などこの宮崎でも探すのが大変です。そして豊かな水を蓄えてくれるはずの森林は手入れする人々もいなくなり荒れ放題になっています。川の水は下流や上流、水系の人たちが力をあわせなければ決して清らかにはなりませんし、きれいな湧き水もそれを育む山々が豊かでなければ枯れてしまうのです。ですから豊かな大自然とそれを育む地域の人たちが元気にならないと「清らかな水」は失われてしまうと思うのです。

 

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私が地力の大きな柱と感じている地域の歴史や伝統文化も同じような状況に置かれている気がします。清らかな水を取り戻すということは言い換えれば環境にやさしい社会を築くということかもしれません。子育て支援に限らず、地域の力を高めそしてそれを引き出していく、今はそんな時だと思うのです。