2010年2月

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みやざきの偉人・賢人

若山牧水(東郷町)・・・文学を志し早稲田大学在学中から作歌、執筆活動に入る。自然を求めて旅にでて多くの短歌を残し、日本各地に多くの歌碑が建てられている。沼津の風土、とりわけ千本松原の景観に魅せられ、一家をあげて沼津へ移住。 1928年(昭和3年)、43歳の若さで亡くなるまでの間、沼津の自然を愛し雑誌『詩歌時代』など精力的に出版活動を展開するかたわら、千本松原の伐採反対運動の先頭に立った。
若山牧水オフィシャルサイト→

後藤勇吉(延岡市)・・・日本初期のパイロット。国内第一号の一等操縦士、一等飛行士。1924年、日本一周飛行などをした。川西航空機系日本航空の運行責任者として定期航空の推進を行った。
後藤勇吉資料館→
 
武者小路実篤(木城町)・・・白樺派の小説家。理想的な調和社会・階級闘争のないユートピアの実現を目指して1918年に宮崎県児湯郡木城町村に「新しき村」を建設。
武者小路実篤記念館→
 
石井十次(木城町、高鍋町)・・・宮崎県高鍋に生まれ、岡山県の医学校に入学し医者を目指す。実習中、貧しい母親から男児1人を預かり、それが児童福祉・教育事業へのきっかけになる。明治24年名古屋地方を襲った濃尾地震による被災児93人を救済、明治39年には東北地方一帯の冷害による被災児救済により、施設児童数は1,200名に達する。施設内に幼稚園、学校も作り一貫した養育・教育を行なった。宮崎県西都市茶臼原で「自然・労作」教育をやろうと決意し、岡山から宮崎へ大移住をする。
 
上杉鷹山(高鍋町)・・・宮崎県高鍋藩主「秋月種美(たねみつ)」の次男として江戸で生まれ、八代目米沢藩主「上杉重定(しげさだ)」の養子となる。家督を継いで17歳で九代目米沢藩主となり、傾いた米沢藩を救うため「大検約令」発し、役人の贅沢や無駄を正す藩政改革を行う。その後、農政を改革し教育を進め産業を発展させていくが、最も大きな産業開発は「織物業」で、置賜特産の青芋(あおそ)を原料とした縮織(ちぢみおり) に始まり、これらを基として養蚕(ようさん)・絹織物へと発展させた。
上杉鷹山の生涯→
 
伊東マンショ(西都市)・・・天正10年(1582年)、13歳で日本最初の天正遣欧使節の代表となりローマに渡った。イタリアで教皇グレゴリオ13世に謁見し、1年4ヶ月の滞在でヨーロッパ社会・キリスト教のすばらしさを学び、ヨーロッパの文化や印刷機、楽器、観測機、海図などを持って長崎に帰国。キリスト教布教と国際化を見すえて人民の幸せのために生涯をかけた。
伊東マンショ ウィキペディア→
 
高木兼寛(高岡町)・・・現在の宮崎市高岡町穆佐(むかさ)に生まれる。明治時代、難病といわれた脚気の予防法を見つけ、ビタミン発見の先駆者として大きく貢献した。医師養成学校、貧しい人でも誰もが治療を受けることができる施療病院(有志共立東京病院)、我が国初の看護婦教育所を設立した。
高木兼寛 ウィキペディア→
 
岩切章太郎(宮崎市)・・・宮崎県観光の父。現宮崎市中村町に生まれた。1926(大正15)年に、4台のバスで宮崎市街自動車株式会社(宮崎交通の前身)を創立。1931(昭和6)年に定期遊覧バスを開始し、全国初の観光バスガイドを試みる。1933(同8)年に祖国日向産業博覧会を開催し、宮崎県を全国に宣伝、1938(同13)年に日向建国博覧会を開催した。また、1936(同11)年から日南海岸にフェニックスを植栽し、3年後にこどものくにを開園、戦後も橘公園、えびの高原と次々に大地に絵をかく夢を実現、新婚旅行のメッカ、宮崎ブームを作った。
宮崎ひむか学ネット 岩切章太郎
 
鳥原ツル(宮崎市)・・・25歳の若さで全国初の女性小学校長となる。宮崎県師範学校付属当時の小学校では校長も授業を受け持ったが、校長室のいすに座っていることはめったになく、終日運動場や教室で児童と一緒に過ごした。授業は形にとらわれず実際を重視、理科の授業の一部を家庭科で行い、図書室や炊事場を利用して家庭科の実習を行った。
宮崎ひむか学ネット 鳥原ツル
 
安井息軒(清武町)・・・儒学者である父の教育を受けて幼少の時から勉学に努めた。藩主に仕える傍ら父・滄洲を助けて、清武の明教堂で子弟の教育にあたったが、1831(天保2)年、滄洲が藩校振徳堂総裁となったので、飫肥に移ってその教育に従事した。1838(天保9)年、藩務を辞して江戸に上り翌年「三計塾」を開き、以後37年間に2,000人の塾生を育てた。藩主に進言して飫肥藩内で種痘を実施したり、養老の礼を行ったりした。
 安井息軒 ウィキペディア→
 
小村寿太郎(日南市)・・・日向国飫肥藩出身。ハーバード大学留学後、司法官を経て外務省に転じ、さらに外務次官などを歴任。ポーツマス講和会議でポーツマス条約に調印。
小村寿太郎 ウィキペディア→